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名古屋地方裁判所 平成3年(わ)1778号 判決

主文

被告人を禁錮二年に処する。

この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成三年二月二五日午前四時四五分ころ、業務として大型乗用自動車を運転し、愛知県豊橋市石巻萩平町内の高速自動車国道東海自動車道(通称「東名高速道路」)下り線の263.1キロポスト付近道路(約2.5パーセントの下り勾配、ゆるやかな右カーブ(半径約一二〇〇メートル))の追越車線を東方から西方に向かい進行するに当たり、当時急激な降雪のため最高速度が五〇キロメートル毎時と規制され、路面はシャーベット状の積雪で滑走し易い状態であったから、右規制速度を遵守し、道路状態に応じ適宜速度を調節した上、前方を注視して進路の安全を十分に確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、定刻に目的地に着くことを考えて、左隣を進行中の走行車線上の大型貨物自動車を追い越すため注意を同車に分散させて進路前方を十分注視せず、時速約八〇キロメートルで漫然進行した過失により、折から自損事故のため追越車線の全部と走行車線の一部を塞いで停止した普通貨物自動車を前方約67.5メートルの地点で初めて発見し、同車との衝突を回避するためやむなく自車を軽く制動するとともに左に急転把したが、その結果、走行車線を進行していた前記大型貨物自動車右前部に自車左側部を接触させた後自車を左前方に滑走させ、そのまま道路左側のガードケーブルを突き破って約八メートル下の柿畑まで法面を転落させるに至り、よって、自車の乗客甲(当時二〇歳)を頸椎骨折に基づく頸髄損傷により、同乙(当時二一歳)を胸部圧挫によりいずれも間もなく同所で死亡させ、別紙負傷者一覧表記載のとおり、Aほか二七名の乗客に対し同表記載の各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(前方不注意の過失を認定した理由)

一  弁護人は、被告人には前方不注視の過失はなく、前方の停止車両は被告人が現実に発見した以前の段階では発見不可能であった旨主張し、被告人もこれに沿う弁解をするので、ここで検討する。

二  なるほど、第七回公判調書中の被告人の供述部分や司法警察員作成の各実況見分調書(甲7ないし11、15)、鈴木弘作成の「道路状況等見分書」と題する書面、弁護人作成の「道路明暗状況車両進行状況等実地見分書」と題する書面等の関係証拠によれば、本件事故は判示のとおり深夜の東名高速道路上で発生したものであるところ、判示の停止車両は昼間であれば約150.5メートル手前で視認可能であるものの、被告人は本件事故当時大型乗用自動車(以下「被告人車」という。)の前照灯を下向きにして走行しており、その場合前照灯は最大約53.3メートルまでしか届かないこと、本件事故現場付近は、被告人車の進行方向右側が植込みのある中央分離帯と反対車線、道路外が山林であり、左側が走行車線、道路外が法面と約八メートル下の畑地であって、周囲に照明施設がなかっことが認められ、このような状況下では停止車両を前方約67.5メートルよりも以前の段階で発見するのは困難ではなかったかという疑いも生ずる。しかしながら、被告人も停止車両を発見したのは前照灯の照射範囲を約一四メートル超える地点であることを自認しており、積雪や他の通行車両の灯下等が原因で車両前方の見通しが前照灯の照射範囲を超えて効くことは考えられることである。

そこで更に検討するのに、前記停止車両を運転していた丙の検察官調書(甲19)、警察官調書(甲18)及び司法警察員作成の実況見分調書(甲6。以上、いずれも謄本)によれば、同人は捜査機関に対し、本件事故直前に自損事故を起こす際、前照灯を下向きにして普通貨物自動車を運転していたが、付近は雪のせいか白く薄明るく見え、約一二〇メートル前方の路上に白っぽい乗用車が停っているのを発見した旨述べていることが認められ、また、本件事故の際被告人車が接触した大型貨物自動車の運転手丁の警察官調書(甲16)及び司法警察員作成の実況見分調書(甲10)によれば、同人も捜査機関に対し、本件事故当時前照灯を下向きにして走行していたが、前方約二〇〇メートルは見通しが効いた、右丙運転車両がスピンするような状況になったのを約150.5メートル前方で確認した旨述べていることが認められる。

三  ところで、関係証拠によれば、被告人の捜査・公判での供述経緯は次のとおりである。

1  被告人は、本件事故当日である平成三年二月二五日午前九時三〇分実施の実況見分において、67.5メートル前方で停止車両を発見し、そこから30.3メートル進んだ地点で左転把した旨説明し(甲7)、同年三月六日の警察官の取調では、事故の原因は速度の出し過ぎであると述べた(乙1)が、同月一九日の実況見分において、停止車両を発見したのは八五メートル手前であり、そこから12.9メートル進んだ地点で左転把したと説明を変えた(甲9)。

2  被告人は、同月二六日の警察官の取調中、右三月一九日の実況見分調書に基づき説明していたところ、停止車両の発見から左転把までの距離が少ないことに疑問を抱き、やはり二月二五日の実況見分調書の方が正しいと思うと供述を変えるとともに、停止車両の発見距離が67.5メートルで前照灯の照射範囲を超えている点につき、事故当時雪で周囲が明るく見えたことや前記丁運転車両の前照灯などのためであると思うとし、停止車両は発見可能限度で発見したものであるから自分には発見が遅れた過失はないと述べ(乙2)、同年四月一七日の実況見分でも停止車両の発見地点を維持したが、左転把の地点は発見地点と同一であり、その手前201.1メートルで丁運転車両に対する注視を開始したと説明した(甲8)。

3  被告人は、同月一九日の警察官の取調において、事故前に先行車であった丁運転車両がスリップによる横揺れを三回位起こしたのを認めたので、雪で路面が悪化していることがわかった、しかし定刻までに目的地に着きたいと思い規制速度を無視して走行を続けた、丁運転車両が被告人車よりも遅い速度だったので追い越すことにし、走行車線から追越車線に車線変更したが、丁運転車両が再び横揺れして自車に接触するのではないかと気にかかり、注意が同車の動きに集中したのだと思う、そのため停止車両の発見が遅れ、67.5メートル手前で発見した時点では瞬時に急転把せざるをえなかった旨述べて、本件公訴事実に沿う供述をし(乙3)、同年一二月一六日の検察官の取調においても右の供述を維持した(乙4)。

4  被告人は、第一回公判期日における罪状認否で公訴事実をすべて認める旨述べ(第一回公判調書中の被告人の供述部分)、第七回公判期日においても、公訴事実は間違いなく、警察官や検察官に述べたことは間違いない旨述べていた(第七回公判調書中の被告人の供述部分)のに、第一一回公判期日に至り、前照灯の照射範囲や発見当時の停止車両の見え方を主な根拠として、停止車両の発見可能地点は前方67.5メートルより手前である筈がないから発見が遅れてはおらず、また当時の記憶を辿れば、自分は丁運転車両を注意しながらも前方を当然注視して走行していたとして、前方不注視の点を明確に争うに至った。

四  以上の認定事実に基づき検討するのに、丁の前記供述は、丙の前記供述とも符号するところ、丁や丙において前方の見通し状況につき故意に過大な供述をする必要は見当たらない。なるほど右の両名は高速道路を進行中の一瞬の記憶を後日喚起させて供述したものであるから、供述に係る距離関係はある程度の誤差を見込んで理解すべきであろうが、その注意さえすれば、それらの供述は基本的に信用できるといえる。また、被告人も一旦は捜査及び公判の各段階で停止車両の発見が遅れたことを認めており、殊に捜査段階で述べたところの前方不注視の理由は十分納得できるものである。これに対し、被告人の前方不注視がなかったとする弁解は、前記のとおり、捜査の当初述べられたがその後覆され、公訴提起後相当経過した後で再び主張されるに至ったものであり、それも確たる記憶に基づくものではないから、直ちには採用できない。そうすると、丁の前記供述やこれに沿う被告人の供述の方を採用し、それらによって、被告人は、本件事故当時、右丁と同様に百何十メートルか手前で停止車両を発見しえたのに丁運転車両に注意を分散させて前方不注視の過失があったと認めるのが相当であり、他の関係証拠にも照らせば、その過失が本件事故の一因になったものと考えることができる。

したがって、弁護人のこの点についての主張は失当である。

(法令の適用)

罰条 被害者ごとに

(行為時)平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段、同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号

(裁判時)右改正後の刑法二一一条前段

刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑による。

科刑上一罪の処理(観念的競合)

刑法五四条一項前段、一〇条(一罪として犯情の最も重い甲に対する罪の刑で処断)

刑種の選択 禁錮刑

刑の執行猶予 刑法二五条一項

(量刑の理由)

本件は、ジェイアール東海バス株式会社の夜行高速バスが判示の事故を起こして道路から転落し、乗客二名を死亡させ、二八名を負傷させた事犯であるが、被告人は、多数の乗客の安全を一手に引き受ける立場にありながら、しかも車両重量だけで一四トン余りある大型バスを高速道路上で運転するに際し、降雪道路に対する甘い判断から、担当機関が危険と判断して変更した速度規制を敢えて無視し、かつ前方不注視も伴って本件事故を惹起したものであり、過失態様は悪質というほかない。また、何よりも結果が重大かつ深刻であり、殊に、死亡した二名は、いずれも二〇ないし二一歳というこれからの身でありながら一瞬のうちに生命を奪われ、その無念さは十分考慮すべきである。

しかしながら、被告人の道路状態に対する甘い判断には、被告人車が降雪前線の進行と逆向きに進行していたことや当時の異常ともいえる降雪状況が少なからず影響していたものと解され、一応同情の余地があるし、同じく甘い判断からスリップ事故を起こした先行車両に突然進路を塞がれたことは被告人にとって不運であったということができる。また、被告人は、事故後これまで、被害者全員に対し心から謝罪の意思を表明してきたと評価でき、被告人の雇用先においても会社を挙げて、被害者ないしその遺族への謝罪と事故の再発防止に向け努力してきたことが認められ、その甲斐あって、死亡した二名を含む被害者二九名の関係で示談が成立し、未了の一名についても近く示談成立が見込まれる状況にあるし、死亡した甲以外の全ての被害者の関係で被告人の寛大処分を求める嘆願がなされている。さらに、被告人が既に受けた不利益をみると、被告人自身も本件事故により左第三肋骨骨折等の傷害を負い、入通院のため平成三年三月末まで休業し、同年四月から出勤したものの運転手から事務職に配置転換されて実質的に収入が減り、平成四年二月一日には起訴休職となって現在まで約二年間謹慎の生活を送って自戒に努めているほか、運転免許取消の行政処分も受けている。その他、被告人は、職業運転手として勤務中これまで無事故無違反で、勤務成績も良好であったものであり、前科はないこと、妻と幼い子供を扶養すべき一家の支柱であり、実刑になれば家族の生活に支障が出ること、被害者のうち被告人の寛大処分を嘆願していない甲の遺族や最後に右嘆願をしたD及びLの関係では、被告人が自腹を切って謝罪金各二〇万円を支払っていること、被告人の社会内更生につき雇用先の協力が期待できること、等被告人に有利に斟酌できる事情がある。

以上の事情を彼此勘案すれば、本件においては、被告人の刑事責任の大きさにもかかわらず、その刑の執行を猶予し、被告人が社会内で更生する機会を与えるのが相当と解する。

よって主文のとおり判決する(求刑禁錮二年)。

(裁判官政岡克俊)

別紙

負傷者一覧表

番号

氏名

年齢

(当時・歳)

傷害の内容

傷害の程度

1

A

三五

右尺骨骨折・頭部打撲切創

全治約二か月間

2

B

五五

左第六肋骨骨折・後頸部捻挫挫傷等

全治約二か月間

3

C

五八

左第七ないし第一一肋骨骨折等

全治約二か月間

4

D

五二

第四・第六頸椎棘突起骨折等

加療約四六日間

5

E

五〇

右肋骨骨折等

加療約四五日間

6

F

六四

胸部挫傷・顔面・両上肢挫創等

全治約一か月間

7

G

二二

全身打撲・下顎挫創等

全治約一か月間

8

H

五〇

顔面・左足底挫創・右側胸部挫傷

加療約三週間

9

I

四六

外傷性頸椎捻挫・左胸部挫傷等

全治約二九日間

10

J

三八

右肋骨骨折等

全治約二九日間

11

K

四二

左鎖骨骨折・胸部打撲傷・頸部挫傷等

加療約四週間

12

L

二九

第一腰椎圧迫骨折・全身打撲

加療約四週間

13

M

二二

左中指PI・PJ捻挫・肘頭挫創等

全治約三週間

14

N

二一

左足関節挫傷

加療約一一日間

15

O

二二

頭部左前腕挫創・頸部腰部捻挫等

全治約一三日間

16

P

二二

頭部右下腿打撲傷・頸部挫傷

全治約二二日間

17

Q

二六

頭部項部・背部・右大腿打撲傷

全治約二二日間

18

R

二六

右大腿挫傷・右伏在神経麻痺等

加療約三週間

19

S

二二

左耳介挫創・全身打撲症

加療約二週間

20

T

二〇

頭部外傷・顔面挫創等

加療約二週間

21

U

二四

頭部外傷・右肩胛部左臀部打撲

全治約一二日間

22

V

二六

頭部外傷・頸部挫傷・腰部挫傷

加療約一〇日間

23

W

一八

腰部打撲傷

全治約八日間

24

X

一九

全身打撲症・左肘関節挫傷

加療約一週間

25

Y

一九

左腰背部挫傷

加療約一週間

26

Z

二五

頭部外傷・頸部挫傷

加療約一週間

27

a

二一

全身打撲症

加療約一週間

28

b

二二

右手掌擦過傷

加療約三日間

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